雑学・用語解説7(新・戦争学)

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目次

  1. 陣地戦(塹壕戦)
  2. 戦艦
  3. 電撃戦
  4. バトルオブブリテン
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1. 陣地戦(塹壕戦)

いくつもの野戦築城・陣地が準備された中で行われる戦闘のこと。

塹壕戦も陣地戦の一つ。

塹壕とは歩兵が銃弾や砲から身を守る為、地面に掘った穴や溝のことを指します。

塹壕内に手りゅう弾などが入り爆発すると、狭い範囲に人が密集しているので甚大な被害が出ることが予想されます。

このような事態を防ぐため、塹壕はジグザグに彫られていることが多いようです。

また塹壕内に敵兵が侵入すると捕捉が困難になるので、柵や鉄条網などで防備を固めることもあるようですが、ここまで行くと野戦築城といえるかもしれません。

なお、こういった障害物は敵兵の足を止める役割を担いますが、第1次世界大戦などでは機関銃などが足の止まった敵兵に猛威を振るいました。

そこで塹壕戦での被害軽減のため、障害物をモノともせずに進み、塹壕を乗り越えることが可能な『戦車』が開発されていきます。

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2. 戦艦

新・戦争学』では『軍艦の一種』といった意味で用いられておりであり、軍艦=戦艦というわけではありません。

古くは帆船から始まり、鉄で覆った装甲艦が登場し、最終的には堅牢な装甲と圧倒的な砲火力を持つものが生まれてきました。

そして1905年の日露戦争などでは『戦艦の遠距離砲火力』が、海戦における勝因の一つに挙げられたようです。

このような結果から…

  1. 戦艦の保有数が、その国の海軍戦力を決める
  2. 世界のパワーバランスが戦艦により左右される

と考えられ、第1次世界大戦後各国は競い合って戦艦の建造を行いました。

日本の戦艦では『大和型一番艦 大和』や近年海底で発見された『大和型二番艦 武蔵』、アメリカでは映画にも登場した『アイオワ』などが有名どころとして挙げられるでしょう。

なお、戦艦の基本的な運用方法は『その圧倒的な砲火力での決戦』でしたが、航空機と空母の登場により海戦の主役を譲ることとなりました。

ちなみに『ド級』や『超ド級』といった単語は、この戦艦由来の単語になります。

1906年にイギリスが建造した戦艦『ドレットノート』がそれまでの戦艦と比べ高い砲火力を持っていた為、それ以前の戦艦を時代遅れにした事から『ド級(弩級)』という単語が生まれました。

その後、ド級戦艦を超える戦艦が生まれた為、『超ド級』といった単語が生まれたのです。

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3. 電撃戦

ドイツ軍人であるハインツ・ヴィルヘルム・グデーリアン(1888年6月17日~1954年5月14日)などが行った機動戦術の一つ。

原理は次のSTEPに分けられます。

  1. 航空爆撃により敵陣に損害を与え、かく乱する
  2. 動揺がおさまる前に戦車による突撃で敵陣に穴をあけ、敵陣深くまで進攻
  3. 機械化歩兵(車両に乗った歩兵)が侵入し、敵陣地背後から包囲する

第1次世界大戦で敗北したドイツは軍備が縮小された為、少ない兵力で塹壕を突破し、勝利する必要がありました。

しかし塹壕戦を行うと被害が甚大になり、且つ戦闘期間の長期化が懸念されました。

そこで考えられたのが、航空機と戦車を用いた『電撃戦』です。

第1次世界大戦では歩兵支援が主目的だった戦車を進化というレベルで開発・改良して敵陣突破・侵攻用の兵器とし、速度についてこれない砲兵の代わりに航空機を用いたのです。

なお、電撃戦は技術の発達が無ければありえなかった戦術でもあります。

内燃機関(エンジン)の発達により航空爆撃機が生まれ、戦車は重装甲・高機動・高火力に、更に通信技術の発達で各車両間での連絡が可能となりました。

また、歩兵も車両に搭乗することで迅速に動くことが出来るようになったことで実現した戦術なのです。

実際に第2次世界大戦では電撃戦によりドイツ-フランス間の戦争(1940年)は僅か1か月程度で終了しました。

フランスはドイツ国境と『マジノ要塞』を挟んで対峙していましたが、ドイツは要塞ではなく手薄なアルデンヌの森を突っ切り、フランスの国防を崩壊させたのです。

その後、フランスを支援していたイギリスは派兵戦力をダンケルクから撤退させ、後のバトルオブブリテンへ繋がっていくのです。

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4. バトルオブブリテン

第2次世界大戦においてドイツとイギリスが行ったイギリス本土制空権を巡る戦いのこと。

ドイツ側では『あしか作戦』と呼ばれたこの作戦は、当初『イギリスの制空権を握る』ことが最重要目標でした。

その為、ドイツも当初はイギリス空軍基地や航空機を狙い、戦闘を行っており、あと一歩でイギリス空軍を倒すところまでいったそうです。

ここで、イギリスは報復のためベルリンに空爆を行います。

ドイツはこの後ロンドンへの空爆を実施しますが、これは『報復+首都ロンドンに空爆を行うことでイギリス空軍を誘い出し一気に倒す』という目的がありました。

しかし、イギリス空軍は『制空権の回復・奪取』と『航空戦力の回復』を優先し、ロンドンへ全軍を派遣することはありませんでした。

また、ドイツ側の爆撃機を護衛していた戦闘機の航続距離では、ロンドンまでの往復を賄うことが出来ず、ドイツ側の被害も大きくなります。

この隙にイギリス空軍は基地の修復と航空戦力の回復が行われ、結果としてドイツのイギリス侵攻を断念させたのです。

バトルオブブリテンの結果、ドイツは最重要目標を見誤り、かつ運用装備の性能上適していない作戦を行ったことで空軍は多大な被害を受けました。

ここで受けた被害により空軍力が低下、以降大きな影響が出始めるのです。

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